茶の間と現場と私

なんちゃらの秋、ということでなんだか文字を書きたくなったので自分の覚書程度に今までの経緯を書いてみたいと思う。

私は元々「茶の間」側のジャニヲタだった。初めは誰でも茶の間だと思うが、私はその期間が長かったように思う。地方の偏平な土地でお金も自由もなく、雑誌やテレビ、ネットの情報に頼ってはCDやDVDを買い漁る日々。それでも私はライトなファンではなくかなり深い層のファンであると自負していた。しかし茶の間ファンが落とすことの出来るお金は限度があり、世間的には現場に行かないヲタクよりもランクが低いとされていたように思う。正直悲しかった。

悲しい出来事はひとつ起こると連鎖するのが私の人生である。悲しい出来事はその後も続いた。地方で周りに趣味を分かち合える友達もほとんど居らず、その友達を私はSNSに求めていた。浅はかだった私は当時のTLで目立っていた人に軽々しく声をかけた。それが間違いだった。人の迷惑も考えずにつぶやき、最終的には多くの方にブロックされてしまった。それも完全に「嫌悪」の意味でのブロックであった。無関心のほうがまだよかった。その出来事は私にまだ傷を残している。私をブロックした人には私がどう足掻いても誤解を解くことなんてできないし、文章上で誤解を解くことすら難しいのだ。その事件でSNSを辞めようと思ったし、あわよくば関ジャニ∞を好きになることも辞めようと思った。こんな気持ちにさせたのは彼らだと責任を押し付けて。今思っても最低だと思う。でもそれくらい心苦しかった。画面上で顔の見えない相手に拒絶されることは本当に辛かったし、それを誰にも言えないのも苦しかった。

その中でも、そんな私と仲良くしてくださる方は徐々に増え、ただの趣味だけの繋がりだけではない人もありがたいことにいる。

進学を期に東京にアクセスの近いところに移り住んだこともあり、たくさんの方と関わることが増えた。ジャニーズWEST関連の方がほとんどである。

時間的にも金銭的にも余裕が出来、現場に行く機会が増えたことにも気持ちの変化が関係しているように思う。担降り、なんて大層なことはしないけれど、横山くんよりも重岡くんに心が動いているのは確かなことで。

○○くんよりも○○くんを応援したい!が、担降りのきっかけの大半であると思うが、私がもしそういうことを書くとしたら、同じグループを応援している人が周りにたくさんいるから、ということになるのかもしれないなあ、とぼんやり考えていた。

大量にブロックされた当時のツイートは削除した。嫌な記憶は消し去りたい。ただ一つ言えることは、あの頃のわたしは今より幼く今より厨二で今よりコミュ障だったのだ。(今も大概だとは思うが)今の私と仲良くしてくれる人を大事にしたい。心からそう思う。